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47歳で子宮腺筋症を乗り越えた院長

私も、46歳の時に体外受精で妊娠し
子宮腺筋症を乗り越え、47歳で出産しました。

こんにちは。
ひまわり鍼灸院の院長、小玉秀子です。

私は長年の不妊治療に取り組み、自身も47歳での出産を経験しました。

今から20年前の2005年、
妊娠・出産が難しいと言われる「子宮腺筋症」を自ら克服し、
無事に新しい命を授かることができました。

妊活を始める

今では鍼灸師として皆さんの妊活のお手伝いをさせて頂いていますが、鍼灸師になる前はあの有名な藤子不二雄先生のところでアシスタントを務めていました。

とても魅力的な世界でしたが能力不足を実感して断念、その後アニメーションの世界に入りましたがそこも技術不足と収入面の厳しさで断念しました。

そして、26才の時に美術関係の展覧会イベント物販会社を女性3人で立ち上げて世界中を飛び回り、今とは真逆の生活リズムや食生活を送っておりました。

朝7時に起きて朝食は食べずに出勤、会場準備を済ませたのちに、現場のトイレでカレーパンを食べるのが朝食変わり、その後ずっと立ち仕事をして終電を逃し、タクシーで帰宅してようやくありついた食事は深夜にレトルトのおでん、そして次の日を迎えるそんな日々の繰り返しでした。

そのような生活が続いた結果、体調を壊し体中に吹き出物ができて、寝ても疲れが取れずさすがに体力の限界を感じました。

このままでは子供も望めないと思い、からだを整えるために鍼灸に通い体調が改善されたことでこの道に目覚めます。

その時が38才でした。

妊活の面では24歳で結婚しましたが結婚後にパートナーが子供を持ちたくない主義の人だったことがわかり、子作りに理解を得るのに20数年かかりました。

あの手この手で説得したり、なだめたりと試行錯誤の末に協力を取り付け「やっと妊活できる!」となった時点ですでに45歳、当時からしたらかなりの高齢です。

不妊クリニックに行ったときに、今まで何をしていたと医師から怒鳴られて泣きながら帰ったことは今でも覚えています。

妊活を始めたものの高齢の壁ですぐに結果がでず、体のケアに工夫をこらしたことが妊娠へとつながりました。

2年の妊活を経て47歳で妊娠しました。その時のノウハウを活かして不妊専門の鍼灸院へとひまわり治療院は成長していきます。

子宮腺筋症を乗り越え、
無事に命を授かる

不妊治療という壁を1つ乗り越えて安心したら、今度は「子宮腺筋症」と診断されました。

その時、「なんでこんなことになってしまったのか・・・」とものすごく悲しい想いになってしまいました。

医学的な証拠を求めて、毎日調べてました。

先天的に腺筋症になる核がある子宮腺筋症もいれば、中絶処置の際の掻爬による子宮腺筋症もありえることが分かりました。

私は20歳の時の当時付き合っていた人との間で子供ができたことがあります。

お互いすごく若く、何か一緒に未来を描けるような状況ではなかったため、残念ながら中絶をした過去歴があります。

その時の中絶手術以降、子宮腺筋症がやってきたのではないかと個人的に考えています。

子宮腺筋症は、普通の筋症とはものすごく違うものです。

普通の筋症の場合は、その部分だけを切り出す手術で済むのですが、

子宮腺筋症の場合は、子宮内膜に似た組織が筋肉の中に浅く入り込んで幅広くなるため、診断された病院からは「子宮を取るしかないね。」と言われました。

結局、子宮が全て腺筋症状態のままで奇跡的に出産しましたが、
37週で重度の子宮腺筋症で無事出産できたのは、あの日赤病院でも初めてだったらしいです。

日赤病院の主治医に最初みてもらった時、
「お腹の中の赤ちゃんが28週で1,000gまでなってくれたら、生きながらえるから。とりあえずそこまで頑張って!」

何か流産を念頭に置いたような言い方をされました。

少し不安になり、主治医ではない他の女医にも聞きました。

「過去、私のような子宮腺筋症で無事出産でいた事例ってありますか?」

しかし、返ってきた答えは沈黙・・・続いて、女医が言いました。

「大体妊娠20週で流産なんですよね・・。」

私はやっと、
「あ・・1,000gあれば生きながらえるからってそういうことか・・」と腑に落ちました。

子宮腺筋症で子宮内で奇跡的に生き残っても、自然に産むことは難しいのか。

子宮腺筋症は生理の出血量が多くなる特徴があるため、生理痛が激しく、妊娠の経過がものすごく辛かったです。

しかし、それでも奇跡的に無事出産ができたのは、
私が鍼灸師であり、鍼灸を通してできるケアを全て行ったおかげだと思っています。

とにかくお腹の中の赤ちゃんを大きく育てるために、お腹を温めて血流をよくすることがどれほど大切なのかを鍼灸師として知っていたので、
常にお腹を温めてて、温灸や赤外線でお腹を温める治療を行い、できるだけ赤ちゃんを大きくさせ、37週までは結局無理でしたが2989gの段階で出産しました。

最後は主治医も「この子宮の状態でもよく赤ちゃんが育ったね・・!」とびっくりしていました。

出産時、私の子宮は全部筋腫になっていたそうです。

「妊活迷子」からの脱出、
ひまわり鍼灸院

私自身が経験した妊活と出産の道のりは決して平坦ではありませんでした。

多くの方と同じように、情報過多の中で何が正しいのか分からなくなる「妊活迷子」状態に陥ったことがありました。

不妊に効くという様々な治療法、食事療法、運動法…次から次へと新しい情報が溢れ、何を信じて良いのか分からなくなる時期もありました。

特に、高齢での妊活は時間との戦いでもあり、焦りから冷静な判断ができなくなることもあります。

それは私自身が経験していたからこそ、よく分かります。

そんな私が妊活迷子から脱出できたのは、東洋医学の視点を持ち帰ることができたからだと思います。

不妊と子宮腺筋症という難しい状況からの出産を経験から、同じ悩みを持つ方々の気持ちに寄り添いたいと思いました。

妊活を精一杯、最大限ご自身のお子さんができるよう応援させて頂きたい気持ちでひまわり鍼灸院が始まりました。

ご自身での妊娠もちろん、色々な道に寄り添い、皆さんのことを全力でサポートさせて頂きます。

ひまわり鍼灸院では、「懇親会」を開催し、成功者の経験談や妊活で頑張っている仲間たちより様々な情報を共有できる場も提供しております。

皆さんの人生において少しでもお考えのお役に立てるよう、そんな気持ちで懇親会も開催しています。

私自身、2人目に挑戦したかったけれど、経済的、肉体的、年齢的に難しかった経験もあります。

人間を送り出すというのはとても創造的なこと。1回じゃもったいないと感じています。

「子供はたくさんの幸せを運んでくる。」

時に青ざめるような困難も伴いますが、総じて振り返ると人としての成長につながっていると思います。

それが1回だけではもったいないと思うのです。

鍼灸師として志半ばで亡くなった友人を見て、
「もっと子供を産みたかった」
「もっと仕事したかった」
という気持ちを受け取りました。

皆さんが抱えている悩み、それにはきっと一本の解決の道があります。

人生の道は、人それぞれです。

・自分の子宮で命を育み出産することを大切にしたい

・パートナーの遺伝子を残したい

・養子を迎える

誰かの母になる道は、金銭的、肉体的、年齢的に難しいものです。

人それぞれが進むべき、求められている道を共に探すため、具体的な方法と希望を皆さんにお届けすることが私の使命であり、ひまわり鍼灸院の使命です。

命がある限り、赤ちゃんが欲しい人のために尽くしたいと思います。

ひまわり治療院は単なる治療院ではなく、
その人の進むべき、求められている道をともに探す場所、
「人生相談所」でもあります。

是非、ひまわり鍼灸院にお越しください。